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2010年1月15日 (金)

読者の方からいただいたお話に喚起されて…

こんばんは、花田光です。
実は「夏美さん」から、ひとつエピソードをいただきました。
以下です・・・・・。

         ☆☆☆

【花田さんの求めていらっしゃるフォークロアな話しかどうかは
  わかりませんが、私が小四の時に体験したことを書こうと思います。

  私の曾祖母は
「曾孫が一人でも小学生になる姿を見ないと死ねない」
  と言っていたらしく、
  私は小四、弟も小一になり
  姉弟二人とも小学生になった四月初め。

  三年間寝たきりで、あまり喋らなかった曾祖母が急に
「椅子に座って写真が撮りたい」と言い出し、
  危ないからと止めましたが全く聞いてくれず、
  私と弟の三人で撮りました。
  すると、とても満足してくれて、
  二日後に他界しました。

   こういう出来事は耳にすることがあるのですが、
  いざ自分が体験すると、感動というか何というか
  言葉に出来ないような複雑な気持ちになります。
  しんみりした長文になってしまってすみません…。
  そして花田さんの求めていらっしゃる
  フォークロアな話しでしょうか;】

     ☆☆☆

 そうです夏美さん、こうしたお話です。
ありがとうございます。

「ある時までは どうしても生きていたい」と望み、
願い叶い そして、
叶った場面を写真に残して、他界する。

素敵ですね。 

 曾孫と同じ時空に存在できた奇跡を、
その人は残したかったのでありましょう・・・。

(もし曾祖母がわたくしで、わたくしが芸術家だったとします。

そしてわたくしに若き友、それも素晴らしい写真を撮る才能を持つ
「親友」がいたならば、その彼あるいは彼女に、
とっておきの1枚を撮ってもらったに違いありません。)

それにしても、
曾孫のあなたに鮮烈に記憶されたのです。
曾祖母の渾身の企みは
美事成就ですね。
素晴らしい・・・・・・・・・。

 ・・・・・・・・この話で
ぼんやりと蘇ってくる記憶があります・・・・。
やはりそれは、わたくしたちひとりひとりの「先人たち」のこと。
そう、先立った彼らとの縁(えにし)を明確に捕らえるにはまだ早い、
子供の頃の思い出です。
自らのそれを意識するには遠い、祖父や祖母の死……。

 確かわたくしは中学生。
年の暮れも押し詰まった寒い日でした。
晩年の早川雪洲をもうすこし細面にした、
まるで役者のように立ち姿も好い祖父が、
いよいよ田瀬の生家に帰る日です。
長男の住む家にその日から暮らすのです。
カシミヤのコートに中折れのソフト帽を被った祖父が、
玄関の敷居を跨いで外に出、
立止まる「後姿」を、わたくしは見ました。
そのまま振り向かず祖父は門を潜って中津川の家を発ちました。

あの時、「ああ この人と自分はもう、生きて会うことはない」と、
「理解していた」ことを思い出します。
了解の感覚です。特に感慨深いものではなく、静かな別れでした。

(昔、子猫を戴きに伺った先で、2匹貰われてゆく我が子に、
それぞれ母猫が別れの挨拶をするのを見たことがありますが、
あの感じに似ています。感覚で「さようなら」、なんです。
その母猫は
「幸せにな、可愛がってもらいなよ」
てなふうに、一匹ずつに鼻でちゃんと別れを告げているように
見えました。)

中学生のわたくしも、どういうわけか
「もう会わない別れを了解」していました。

祖父の他界はその翌々日のことです・・・・・。

 夏美さんの場合は、もっと特別製の体験です。
彼女の曾祖母は、自らの死を、共に写真に納まることで演出し、
美事 曾孫に「何ごとかを伝えた」のです。
いいですねえ。

 死に往く者の この自己表現にわたくし、
人生というものが、良きにつけ悪しきにつけ
「受け継がれて行くもの」であるという、
宿命の「匂い」を嗅ぎます。
血の繋がる意味、を思います。
「繋がり」というのは、ある意味面倒で息苦しいものです。
遺産争いやら、様々な確執もつきまとい、
己の子孫への愛着にしたって、別に美しいものではないかもしれぬ。

 しかし・・・・家族ですら『繋がり感』が希薄になって久しい昨今、
死に往く『いち個体』が、こうして「何らかのアピール」をする
話には、何でか「ほっと」させられてしまうわたくしです。

「新たな生」と「年老いた者の死」が『握手をする瞬間』、
と申しますか、バトンタッチをする時……、

そうした『端境期の特殊な時間』には、
生きている時には不可能と思われた連絡が、
「意外な手段によって可能になることがある」みたいです。

 ちょっとした事件が、時として起こります。
『伝える』んです。おそらく。

 夏美さんの曾祖母の場合は
『こちら側に居る間』に「伝え」たのです、たぶん。

 『端境期の時間』には…
『向こう側』に行ってから、あるいは行く途中で、
「伝え」る方もいらっしゃる。

 そしてわたくしたちは『往く人が何を伝えたがっているのか?』に、
注意を払うべきなのです。

 わたくしの知る限りでも、「かの方々の便り」は
隠喩、謎かけ、示唆に満ちております。

 また、『何故「その人」に伝えたのか?』、
選ばれた側も、「自らが受け手として選ばれた理由」を考える必要が
あるかもしれません。

何か『訳』があるはずだからです。
通信し易かったから、それだけの理由でただ相手を利用するような
失礼な死者は、まずいらっしゃらないのではなかろうかと思います。

 これからお話しするエピソードは、そうした理由、
「人間と人間の不可思議な繋がり」に驚かされる、
比較的 稀れな一例かもしれません。

・・・・・・あ、   もうこんなに長く語ってしまいまいた。

 わたくし花田光こと伯林青、
きっかけさえ与えられれば、語ります。
冴えている時にはね……。

 閃光。雷鳴。消えたろうそく。
一陣の風。雲間から覗く満月。
季節外れの蝶…。

 いえ、そんな大げさなのでなくってもいいんです。

 たとえば、ワイパーがぬぐう直前の、フロントガラスに張り付いた
柔らかい水のレンズ、雨滴…。

路上に転がりわたくしを待っていた、妙に鮮やかな色をした
ビリケンの頭頂部のほつれた糸…。 

何からでも語りましょう・・・・・・・・・。

 さあ、今夜小さなエピソードに触発されて
思い出しましたお話は・・・・・・・・・・・・・・・
すみません。来週のお楽しみっ。

おやすみなさい。

   2010年 1月 15日

      花田光こと伯林青 拝

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■夏美様
ご協力誠にありがとうございました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

                            管理人 

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コメント

こんばんは。今回、私のフォークロアな話しを載せて頂き本当にありがとうございますm(__)m

当時小学生だった私は、この出来事について深く考えていなかったのですが、今回花田さんに語って頂き、曾祖母の気持ちや想いを改めて考えることができました。

またフォークロアな話しを思い出したら書き込みますね!でわ。

投稿: 夏美 | 2010年1月16日 (土) 19時00分

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